河村藤吉画伯は、昭和3年から同34年まで九州大学眼科学教室で勤務され、眼底図の描画や合成樹脂義眼の開発などに尽力されました。
没後に出版された『河村藤吉画伯の眼病図譜』をひもときますと、眼底写真技術が発達していなかった昭和初期において、眼病図がその役割を担っていたそうです。高解像度の眼底写真や網膜断層像が簡単に手に入る現在では、眼底をスケッチする機会は少なくなりましたが、河村画伯の精緻な眼病図を見ていると、研修医時代に感じた眼の美しさや病変の不思議が思い起こされます。同門の先輩方の思いが詰まった絵画をご覧いただき、九大眼科の歴史に思いを馳せていただければ幸いです。
1903年(明治36年) | 福岡県福岡市麹屋町に生まれる |
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1917年(大正6年) | 大阪市天王寺堂ヶ芝町梅村香堂塾入門 書四条派日本画を学ぶ |
1919年(大正8年) | 大阪市南区東清水町岡本大更塾入門 書四条丸山派日本画を学ぶ |
1928年(昭和3年) | 九州帝国大学医学部眼科教室勤務 |
1951年(昭和26年) | 九州大学医学部文部技官 |
1959年(昭和34年) | 九州大学医学部眼科学教室退官後嘱託 |
1975年(昭和50年) | 死去 |
1946年(昭和21年) | 合成樹脂義眼の開発 |
1952年(昭和27年) | 合成樹脂義眼専売特許取得(205088. 316396) |
HH 36歳
車軸状の白内障が美しく描画されています。
MT 24歳
虹彩後癒着があり、ぶどう膜炎に合併した白内障と考えられます。
20歳 女性
網膜血管の異常な増生と出血が描かれています。診断名はAngiogliosis retinaeと書かれており、von Hippel-Lindau病に伴う網膜血管腫と考えられます。
HM 51歳
胞状の網膜剥離が描かれています。当時はどのように治療をしていたのでしょうか?
(左)YS 16歳,(右)MS 11歳
虹彩コロボーマと網脈絡膜コロボーマ。組織の一部が発生異常で欠損 してしまったものをコロボーマと言います。眼杯裂の閉鎖が不完全に終わると、眼杯裂の前端の虹彩や後端の視神経乳頭近傍の網膜が欠失します。
MS 46歳
視神経周囲の白色の病変が描かれています。Markhaltige Nervengasernと記載されており、有髄神経線維と考えらえます。視神経線維は通常網膜内では無髄、網膜外では有髄ですが、発生過程で網膜内の神経線維の一部が髄鞘化されると図のような所見を示します。
FE 56歳
アーケード血管下方から黄斑部にかけて火焔状出血が描かれています。Haemorrhagia retinae mit sclerosis vasorum retinaeと記載されており、動脈硬化を背景とした網膜静脈分枝閉塞症と考えられます。
IY 14歳
白血病網膜症。本疾病に特徴的なRoth斑(出血の中の白斑)が描かれています。
(左)YK 30歳、(右)KM 13歳
結核性網膜静脈炎・脈絡膜炎。結核性ぶどう膜炎の症例が数点描かれており、当時は頻度の高い疾病であったことが読み取れます。現在では頻度は減りましたが、再興感染症として鑑別に注意が必要な疾患です。
SS 21歳
中心性脈絡網膜炎(中心性漿液性脈絡網膜症)。「黄斑部外下方に見られる黄白色の斑紋は脈絡膜の病巣で、その中心において網膜色素上皮が破れたため白く見えている。この脈絡膜病巣に対し反応性に網膜下に液の滲出が起こり、反射輪に囲まれた灰青白の浮腫巣を現している。」と記載されており、病態が精緻に観察されていたことが分かります。
SY 8歳
小口病。わが国で発見された夜盲症で、はげかかった金箔状の眼底所見(左)は、3-4時間の暗順応で正常の色調に戻ります(右)(水尾・中村現象)。
網膜色素変性
網膜に特徴的な黒い色素沈着が見られます。網膜の視細胞が障害される遺伝性の疾患です。現在、当科で遺伝子治療の臨床試験を進めています。
Vogt-小柳-原田病
黄斑部一帯に浮腫性混濁があり、微細な硝子体混濁も伴っています。1906年にスイスのAlfred Vogt氏、1914年に小柳美三医師が確認し、1926年に原田永之助医師によって報告されたためその名がついています。
糖尿病網膜症
網膜に点状出血と白斑が多数みられます。以前と比べて糖尿病に対する認知度が上がり、網膜症も早期発見・早期治療が可能になっていますが、依然重症例も多く重要な眼疾患です。
腎炎性網膜症
綿花状白斑、網膜出血、星芒状白斑が見られます。腎炎など腎臓疾患に関連して眼にも症状が出ることがあります。